私は、他人の好意を素直に受けることができません。
「相手に悪い」
「申し訳ない」
「私なんかに」
という考えが、まず頭に浮かびます。
そして、次に考えるのが、恩を着せられることです。
「〇〇してやったから」
このセリフ、よく言われていたので、これを言われたくないが故に、他人の好意を断るようになってしまいました。
しかし、現在、この考えを改め、好意を素直に受け取るようにするよう心がけています。
自分がする側になるとわかりますが、好意って、素直に受け取ってもらった方が嬉しいんですよね。
好意を受けられない原因
ネットで調べてみたところ、好意を受けられない人というのは、私だけでなく、それなりにおられるようで、素直に受けられない人の特徴としては
①自分に価値がないと考えている
②何か裏があるのかと考える
③恩着せがましい、
主に上記3つがあるようです。
私の場合は、①と③が該当しますね。
①自分に価値がない
自分に価値がないと考えているがゆえに、そんなことしてもらう価値がない、申し訳ない、という気持ちが出てしまう。
自己肯定感が低い、とも言えます。
私は、これ、かなり強いです。
私の大きな原因の一つかと。
②何か裏があるのかと考える
好意には裏があるのかと考えてしまうこと。
私は、全くないわけではありませんが、そこまで強く考えませんね。
多少はありますが、そこまで深くは考えません。
これよりは③の方がはるかに大きいです。
③恩着せがましい
わたしは、正にこれです。
条件反射的に考えてしまいます。
「してやったのに」
「この前してやっただろう」
と言われることが本当に嫌なのです。
家族からそういう発言を受けることが多かったこともあり、そういう悪い印象ばかりが強くなってしまっているんです。
特に、親がこれなもので、親の親切、好意は受けたくなかったんですよね。
親の口癖「してやっただろう」
このセリフを本当に聞きたくないのです。
・・・
本当に嫌いなんですw。
親からは、本当によく
「○○をしてやっただろう」
「○○してやったんだから、これはこうしろ」
ということを、よく言われていました。
そのため、このセリフを聞きたくないがために、また、そう言われて従わざるを得ない状況になりたくないために、親の行為は、基本的に断っていました。
この言葉、本当に嫌いなんです。
好意は、素直に受けた方が相手も気持ちいい
私が、下心なく好意を他人にしたとき、素直に受けてくれる方が、私の気持ちも嬉しくなります。
逆に受けてもらえないと、ちょっと残念な気持ちになります。
なので、私は、今まで、断りすぎていたのではないかと反省し、他人の好意は素直に受けるよう心がけようと考えたわけです。
ごちゃごちゃと考え、好意を受け取らないのも、人として小さいのでは、とも考えました。
素直に好意を受けられる、ということは、その人の人としての大きさを示しているんじゃないかなあ。
あとがき
そんなわけで、頑張って好意を受けるように心がけます。
他人の好意があると、思わず断りの言葉が出てしまうので、治すのに苦労しそうですが、少しずつでも治していこうと思います。
最近では、友人がお米を送ってくれるという話がありました。
とっさに断りの言葉が出そうになったのですが、
「いや、お米は正直ありがたいし、せっかく提案してもらえてるだから、ここは素直に受けよう」
と考え、受けることにしました。
この友人は、本当に長い付き合いですので、過度に遠慮するのも失礼だとも考えました。
すぐには変えられないと思いますが、上記のように心掛け、人間的に大きくなりたいものです。
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