精神的に疲弊している時、人は宗教にはまると言われています。
私は、宗教にはまったことも、興味も持ったこともありませんが(神社にお参りすることはありますが)、つらい時に、宗教にはまる気持ちがわからないでもないです。
私は、自分の力でどうしようもないものに対して、藁にも縋る思いで、目に見えないものにすがってしまうということを、自身の経験から実感しました。
私の体験
私は、毒親に苦しみ、さらに就職が上手くいかず、10年以上苦しんでいます。
その時、
何か悪いものでも憑いているのではないか、
と 考えたことは、確かにあります。
お金ないので、それ以上はどうこうしませんでしたがw。
就職できないのは、何か別の力が・・・
就職なんて、私は、応募数100や200どころではないです。1000、2000以上です。
就職相談でも、
「書類、態度も問題ない。何故受からないのかわからない」
と言われ、私も、悪い点を探し、改善する等、考えられる限りのことをしてきました。
それでも、決まりません。
応募先企業からも、「そんなに決まらないはずがない、さぼっているor問題があるんじゃないか」
と疑われます。
そう思われるのも仕方ないとは思っていますが、自分でも何故決まらないのかと悩みます。
そして、何か目に見えない力が働いているのかと疑いだしました。
呪い
また、私のこの状況、親に都合のいい状況なのです。
一人暮らしで仕事が決まらない → 一度実家に帰るのがよいのでは
と考えるのが、一般的です。
実際に、様々な方に言われたことがあります。しかし、毒親がいる実家へ帰るなど、私には考えられません。
この状況は、私にとって大変つらいですが、親にとっては大変都合よい状態です。
実家に帰ってくるのは、親の思い通りなのです。
「親に逆らうから上手くいかない。罰が当たったんだ」
「親の世話をするべきだ」
と。
親が正しい、親の思い通りの状況になっているのです。
親の呪いがある、と考えだしていました。
神頼みしたくなる
私としては、仕事がここまで決まらないのが本当につらく、親に都合の良い状況であり、ここで、親の呪い、家族との悪い縁がつながっているのでは?と考えだしました。
「目に見えない力があるのでは?」
と疑い、神頼みをしたくなりました。
そして、
「そういえば、何年もお参り行ってないな」
と思い、神社へ行こうと考えました。
そこで気づきました。
「ああ。宗教って、こうやってはまっていくのか」
と。
別に宗教を否定していません
宗教にはまることを悪いともとれるように書いてますが、私は、宗教を否定していません。
精神的に落ち込むことは、生きていれば誰でもありますし、そのときに拠り所があることで、救われることもあるでしょう。
宗教で救われた方もいるようですし、すがるものがあることで、精神的に平静を保てることもでしょう。
キリストの聖書は、読んだことはありませんが、聞いた話では、真っ当な、いいことが書いてあるそうです。
精神的に救われているならば、元気になるのなら、それはそれであり、かとも思うのです。
それこそ、お経を唱えれば心が落ち着く、というのであれば、それならそれでいい、と思います。
現実的な、正論を吐いたところで、その人は苦しむだけですからね。
あとがき
日本人は、宗教に関しては、結構テキトウですらからね。
クリスマスを祝い、正月を祝い、神社、お寺の区別せずお参りします。
宗教というより、習慣、文化ですね。
あえていうならば、学歴教ですかねw。
学歴こそ絶対、という思考の方、多いように思います。
(頭の良さではなく、学歴であることがこれまたw)