毒親に関して、
許せない。酷い目に合わせたい
という感情を持つことは、当たり前だと思います。
かつての私もそうでした。
しかし、そのようなこと考えていても、自分は幸せになれません。
むしろそのせいで、精神が暗くなる等、悪い影響を受け続けてしまいます。
私の場合、毒親に関しては、復讐などは、考えておりません。
私は、家族とは一切関わりたくないのです。
復讐するということは、また関わらないといけなくなることなので、やりたくありません。
妬みや恨みは負の感情
人を妬んだり、恨んだりしていると、自身の表情、雰囲気、思考にも影響が出てきます。
人から避けられる、嫌われるような顔つきになり、なんとなく雰囲気も暗くなってきます。
また、何かにつけて、捉え方がマイナスになりがちにもなります。
他人の幸せも素直に喜べず、評価、褒められても、疑いの目を向けてしまったり・・・。
と、親を恨んだり、妬んだりしていても、よいことはありません。
ただでさえ、毒親によって性格、思考を害されてしまっていたのに、また恨むことでより酷くなってしまうのも、癪ではないですか。
妬み
そういう気持ちがでることは、あるでしょう。
私に自分勝手なことをしておいて、自分達は幸せになって・・と。
私も、そういう気持ちがありました。というより、まだ多少残っています。
少なくとも、実家にいたころは、毒親、家族に関しての情報が、いやでも耳に、目に入っていたので、彼らが上手くいっていることに対して、非常に不快な気持ちがありました。
しかし、私は、もう彼らとは縁を切りました。
縁を切ってからは、毒親、家族に関して、こちらから近況を確認することはないので、知りようがありません。
知らなければ、たとえ親が幸せだろうが、妬み、恨みの気持ちが出てくることはありません。
私は、今彼らがどうなっているか知りたい、という気持ちは、一切ありません。
興味がないので。
毒親の不幸を望む
正直、この想いは、無くはないです。
しかし、人の不幸を願い、喜ぶ、という気持ちは、私としては、あまり持ちたくないとも思っています。
そういう考えを持つと、顔つき、雰囲気にも出てきますからね。
また、「一切関わりたくない」ということは、毒親のことに頭を使いたくない ということでもあります。
つまり、不幸を願うことすら考えたくありません。
毒親とは、ほぼ縁を切る状態になれたのに、また毒親のことを考えていたくもありません。
ということで、基本、毒親、家族のことは気にしないように、自分のことだけを考えるようにしています。
現在は、不幸を願う気持ちは、薄れていますね。
というか、どうでもいい。
毒親が幸せだろうが不幸だろうが知ったことではない
これに尽きます。
彼らが幸福だろうと不幸だろうと、私の人生には、全く関係がありません。
今や本当にどうでもいいです。
自分の人生のことしか考えてないです。
こう思った方が楽ですよ。
あとがき
恨んでいるからこそ、毒親の近況が気になる、ということもあるかと思います。
これは、忘れた方が幸せとしか言えないです。(復讐したい、という気持ちもわからなくはないので、正直否定もできないですが)
私は、忘れたいと思っていますし、また、恨んだり不幸を願うようにもなりたくないので、親とは関わりたくないのです。
自分のことを、自分のことだけを考えていたいのです。
暗いことを考えていると、気持ちも暗くなりますし、雰囲気、顔つきもそういうものになっていきます。
恨みたいほど嫌いな毒親のせいで、自分が、その影響を受け続けるのも癪ではないですか。
毒親の経験など、思い出すor考える余地がないぐらい人生楽しむべきです。
恨む時間を、明日なにしよう、将来何しよう、と考える時間に使いましょう。
楽しいことを考えていきましょう。
最高の復讐は、彼らのいないところで幸せになることです。