てるてる氷解ブログ

人生の氷河期を乗り越える  雑記ブログ

毒親に対して復讐・・その考えが自分を不幸にする

毒親に関して、

 許せない。酷い目に合わせたい

という感情を持つことは、当たり前だと思います。

かつての私もそうでした。

 

しかし、そのようなこと考えていても、自分は幸せになれません。

むしろそのせいで、精神が暗くなる等、悪い影響を受け続けてしまいます。

 

私の場合、毒親に関しては、復讐などは、考えておりません。

私は、家族とは一切関わりたくないのです。

復讐するということは、また関わらないといけなくなることなので、やりたくありません。

 

妬みや恨みは負の感情

人を妬んだり、恨んだりしていると、自身の表情、雰囲気、思考にも影響が出てきます。

人から避けられる、嫌われるような顔つきになり、なんとなく雰囲気も暗くなってきます。

また、何かにつけて、捉え方がマイナスになりがちにもなります。

他人の幸せも素直に喜べず、評価、褒められても、疑いの目を向けてしまったり・・・。

と、親を恨んだり、妬んだりしていても、よいことはありません。

 

ただでさえ、毒親によって性格、思考を害されてしまっていたのに、また恨むことでより酷くなってしまうのも、癪ではないですか。

 

妬み

そういう気持ちがでることは、あるでしょう。

私に自分勝手なことをしておいて、自分達は幸せになって・・と。

 

私も、そういう気持ちがありました。というより、まだ多少残っています。

少なくとも、実家にいたころは、毒親、家族に関しての情報が、いやでも耳に、目に入っていたので、彼らが上手くいっていることに対して、非常に不快な気持ちがありました。

 

しかし、私は、もう彼らとは縁を切りました。

縁を切ってからは、毒親、家族に関して、こちらから近況を確認することはないので、知りようがありません。

知らなければ、たとえ親が幸せだろうが、妬み、恨みの気持ちが出てくることはありません。

私は、今彼らがどうなっているか知りたい、という気持ちは、一切ありません。

興味がないので。

 

毒親の不幸を望む

正直、この想いは、無くはないです。

しかし、人の不幸を願い、喜ぶ、という気持ちは、私としては、あまり持ちたくないとも思っています。

そういう考えを持つと、顔つき、雰囲気にも出てきますからね。

 

また、「一切関わりたくない」ということは、毒親のことに頭を使いたくない ということでもあります。

つまり、不幸を願うことすら考えたくありません。

毒親とは、ほぼ縁を切る状態になれたのに、また毒親のことを考えていたくもありません。

ということで、基本、毒親、家族のことは気にしないように、自分のことだけを考えるようにしています。

 

現在は、不幸を願う気持ちは、薄れていますね。

というか、どうでもいい。

 

毒親が幸せだろうが不幸だろうが知ったことではない

これに尽きます。

彼らが幸福だろうと不幸だろうと、私の人生には、全く関係がありません。

今や本当にどうでもいいです。

自分の人生のことしか考えてないです。

こう思った方が楽ですよ。

 

あとがき

恨んでいるからこそ、毒親の近況が気になる、ということもあるかと思います。

これは、忘れた方が幸せとしか言えないです。(復讐したい、という気持ちもわからなくはないので、正直否定もできないですが)

 

私は、忘れたいと思っていますし、また、恨んだり不幸を願うようにもなりたくないので、親とは関わりたくないのです。

自分のことを、自分のことだけを考えていたいのです。

暗いことを考えていると、気持ちも暗くなりますし、雰囲気、顔つきもそういうものになっていきます。

恨みたいほど嫌いな毒親のせいで、自分が、その影響を受け続けるのも癪ではないですか。

 

毒親の経験など、思い出すor考える余地がないぐらい人生楽しむべきです。

恨む時間を、明日なにしよう、将来何しよう、と考える時間に使いましょう。

楽しいことを考えていきましょう。

 

最高の復讐は、彼らのいないところで幸せになることです。