毒親を許せますか?という話。
親が謝ってきたら許すのが良いのか?親は許すべきか?。
それは、当人が決めればいいと思います。
許せるなら許せば、許せないなら許さなくてよいです。
「許さなければいけない」
なんてことはありません。
他人が決めることではないので、誰が何と言おうと、自分の気持ちで決めればいいかと。
「唯一の肉親なのだから許すべき」等の意見もありますが、普通の親との喧嘩程度ならばそれでよいと思います。
毒親は違います。毒親に植え付けられた劣等感、押さえつけられ苦しめられた経験、を肉親だから無条件に許すべき、は、絶対に間違っています。
しかし、恨んでいても自分の人生が暗くなるだけなので、恨むことは、忘れてもよいかもしれません。”許さない”と”恨む”は違う、と考えます。
私の場合、絶対に許しません。
謝ってきても許すことはないです。いや、謝ることも許しません。
長年散々話し合ってきた末での結論、ということもありますし、そもそもとして、私は、親、家族とは、一切関わりたくないので。
ただ、
親子の縁というのは、やはり大切なものです。私もそれには同意します。
私も、毒親でない親を持つ人には、親は大事にしろよ、と思います。
自分の親が毒親であるからこそ、”そうでない親は大切に”、という気持ちが強いです。
(親が毒親で、親に色々されたというのは、怒りもありますが、悲しくも感じるのです)
許さなければいけない、というわけではない
毒親に限りませんが、許さなければいけない、ということはないと思います。
許すかどうかは、当事者・・・被害者が決めることです。
(特に毒親の場合、犯罪者と違い、社会的に裁かれる、ということはありません)
どういう背景があって、どういうことをされて、どれだけつらい思いをしたのか。
それがわかっているのは当人だけです。
はっきり言うと、他人が口を出すことではないです。
育ててやった恩がある?
そんなのありません。感謝する必要ありません。
親は、誰かに強制されて子どもを育てていたわけではなく、自らの意志で子どもをつくり、育てたので、そこに恩を強制するな、という話です。
そもそも、育ててやったとか・・・
この言葉からして、仕方なくしてやった、みたいに聞こえますし、親としてあれだと思いますけどね。
また、感謝してしまった場合、下手すると
感謝=親の行為を認める→自分も同じことを子どもに→自分も毒親に・・・。
私の場合、これまでの経験で、一切関わりたくないというのが本音です。たとえ謝ってきたとしても、以下理由もあり、許すということはしませんね。
私の親の場合
私の場合、経験上、親が反省することは絶対にないと断言できます。
そのため、許しません。
謝罪=なかったことになる
一例として。
ある時、ちょっとしたことで、めずらしく親が認め、謝ったことがあります。
しかし後日、同じことをしたので、その点を指摘すると
「それは謝っただろ。だからそれは終わっている。前の終わった話を持ち出すな」
「いや、その謝ったことと同じ事してるでしょ」
「前の話は終わってるんだ。前の話をするな!」
「・・・(謝ったのはなんだったんだ)。じゃあ、今回のこととして言うわ。それはコレコレでおかしいでしょ」
「・・・なんで前の話を持ち出す!」
「?いや今回のことだよ」
「・・・前のことはもう終わってる。いつまでも前のことを蒸し返すな!」
「・・・」
はい。意味不明ですw。
全く反省していません。悪びれることもなく同じことを繰り返します。
これは一例ですが、全てにおいてこんな感じです。
謝罪を受け入れた瞬間、親にとって、そのことは、なかったことになります。
そして、反省しているわけではないので、同じことを繰り返します。
つまり、仮に今、うちの親が、毒親と言われるような行いを謝罪してきたとしても、それは一時的なものです。
子どもが縁を切っていることが気に入らないor世間体が悪いから、とりあえず、今の状況をなんとかするために謝罪の体を見せるだけです。
反省ではありません。
この謝罪を受け入れた瞬間、親にとって都合の悪いこの件は、なかったことになります。
本当に反省したわけではないので、また繰り返します。
そんなわけで、私は、親を許すことはありません。
これまでのことをなかったことにして、また毒親として、過干渉をされてはたまりません。
自分を被害者にする
謝ることで、自分は、”正しい側”だと表現します。
謝ったという事実=自分(親)は真っ当であるという面目が立つ。
さらに、許さない場合に、自分を可哀そうな人間と見られるようにします。
傍から見て、
謝る→立派、真っ当。
それを許さない→許さない子どもがおかしい
となるように。
”親が悪い”
から
”子どもが悪い”
に変換するのです。
「謝っているのに、子どもが許してくれない」
「自分は反省しているのに、許してもらえないのがつらい」
「子どもに縁を切られた」
ということで、自分をかわいそうな人間、というふうに表現します。
そして許さない子どもを、親不幸者、冷たい人間という構図にします。
・・・考えすぎ?
いえ、本当にそうなんです。うちの親はそうでした。
毒親の特徴でもあります。
自分を被害者、子どもを悪者にする。
(子どもはどうなろうと、自分(親)が悪く見られなければよいのです)
許した場合、許さなかった場合を比較
私の場合で考えてみます。
許す場合
・・・そもそも許すという想像がしにくいですねw。一切関わりたくないというのが私の今の思いなので、許してしまった場合、また関わらなければいけないのか・・・と。(葬式にも関わりたくない)
過去のことは、もういいけど、今後一切関わらない、でも許すことになるのですかね?。
そもそも、私は、親が反省しないということが、身に染みているので、本当に反省している場合が、どうしても想像できないのです。
許した後のことも考えても、一件落着、となっていないと思います。
反省していないので、相変わらずの過干渉、長男至上主義は、変わらないでしょうから、私は、許した後もその扱いに耐え続けなければいけません。
許す、というのは、結局、こちらが折れる、我慢する、ということでもあります。
許す場合の結論は、
結局、過去されたことを考えてしまい、葛藤し続けてしまう、気持ちを我慢し続けてしまうことになる。そして、また親から同じ扱いを受け、それに耐えなければいけない
ということです。
心の底から許せない限りは、折れてまで許す必要ないですね。
許さない場合
では、許さない場合はどうでしょうか。
反省しているとは思っていないので、許さなくて全く問題ないですね。
①仮に親が本当に反省している
私が許さないことで、親は、許されない事、今までやってきたことを今後一生悔やみながら生きていくと考えられます。
そうやって苦しんでくれるなら、それこそ報いなので、一生苦しんでください、という気持ちです。
②実は、反省していない
許さなくて正解ですw。
許さない場合の結論は、
親に対して罪悪感を持つこともなく、一切関わりを持たなくて良くなるので、苦しむことはない、です。
うむ。許さない場合のデメリットがありませんw。
恨む必要もない
”許さない”でいいのですが、かといって、恨んでいても仕方がありません。
恨む=毒親に苦しみ続ける=影響を受け続ける。
ということですから。
報いを受けさせたい、という気持ちもわからなくはないですが・・・。
まあ、どうでもいいことではないでしょうか。
親が報いを受けたところで、自分の人生がいきなり好転するわけでも、性格が矯正されるわけでもありません。
自分にはあれだけの対応をしておいて、毒親が楽しんでいたら、それはイラつきもするでしょうが、一切関わらなければ、親が人生楽しんでいようが知ることはないので。
楽しんでいようが苦しんでいようが、知ったこっちゃないのです。無関心です。
自分の幸せだけを考えましょう。
情がない?冷たい?
いえいえ、それを言うなら、毒親こそ、子どもの人生など知ったこっちゃなく、自分のことだけ考えているのですから、情もなく、冷たい人間でしょう。
あとがき
人を恨んでいると、精神的に暗くなり、性格、表情にも出てきます。恨まない、忘れることが一番です。
そのためには、関わらないことです。
恨まない=許す
ではないと思います。
許す必要はありません。
もちろん、許せる方は、それでいいと思います。
過去を許容できて、新しく関係を築けるなら、それに越したことはないです。
私の場合、
親が反省してようが、心入れ替えてようが、もはや知ったこっちゃないのです。
(反省してる?ああ、そうですか。じゃあこれからの人生は、その反省を活かして生きればいいんじゃないですかね。私には関係ないけどね。って感じです)
親に限った話ではありません。
いじめ等、自分がされたことに対して、周りの意見、常識など気にせず、自分の気持ちで、許す、許さないを決めていいと思います。