先日記事にしたドッチボールの話で少し触れましたが、教師って、教えるのが仕事のはずなのです。
しかし、私の記憶では、体育教師は、指導をしてませんでしたね。
体育教師は指導しない
例えば、足の速さ。
皆走らせて、「あの子は速い」「この子は遅い」というだけで、足の遅い子に走り方を教える、といった光景はありませんでした。
唯一、跳び箱は、飛べない子に教えていたかな。
(跳び箱だけは、飛べる奴は勝手に飛んでろ、って感じでしたねw)
他は、本当に、ただ見てるだけ、といいますか、苦手な子は「下手だなあ」で済ましていた印象があります。
なんといいますか、体育に限りませんが
私にとって、学校の体育は、劣等感を植え付けてくるイメージなんですよね。
人と比べて劣る → 特に指導もせず、できないままで自信を失わせ、劣っていると意識させるような。
教えてできるようにせずに、むしろ他の生徒と一緒に下手な子を笑ったりしていましたから。
私の体育授業の体験
私は、運動が好きです。
ただ、運動神経が絶望的でした。
幼いころから不器用と親に言われ続けていたこともあり、思い込みもありました。
「自分は何やっても下手なんだ」
と。
学校の授業だけで、すいすいできる子をみて、
「なんであんなすぐにできるんだ」
と思ったものです。
そして、教師は、指導などしてくれませんでした。
しかし、運動が好きであり、勝負事が好きであり、負けず嫌いであった私は、自分でいうのもなんですが、努力をしました。
その結果、一応周りには、結構運動できる方と思われていたようです。
私からすれば、努力してようやく人並み、ちょっと上になった程度なんですが。
しかし、もう一度言いますが、体育教師は、一切指導をしてくれませんでした。
特によく覚えているのは、小学校の水泳、高校の体操です。
水泳
小学校の水泳。
私は小学校5年で50m泳げませんでした。
水泳大会は泳ぎ切れずに失格。
周りは当たり前のように50mを泳いでいました。
その後、水泳教室に通いました。
水泳教室では12級スタートw。
12級は幼児レベルですw。
幼児に交じってやっていましたよw。
正直すっごい嫌でした。流石に12級スタートはないだろうとw。
まあそれでも、それなりに頑張った結果、小学校6年の大会ではリレーのメンバーに選ばれる程度にはなれました。
(水泳教室は最終的に1級まではなんとかいけました。多少教室側からの恩情もあり、本来やっていない二級分まとめて進級テストをしてくれたり)
ただですね。
この6年の大会の時、
「お前は100mに出ろ」
と教師に言われましてね。
50mは大体の子が泳げます。
100mに出るような子は、それこそ幼いころから水泳教室に通っているような子です。
私も泳いだことは、一度もありません。
しかし、
「100mに出場する子がいないから」
「クラスから一人はださないといけない」
「お前なら泳げる」
とか言われ、強制的に決められました。
他に、私より水泳のできる子はいましたが、そっちは、50mで勝たせるという言い分でした。(私は負けてもいいんかいw)
しかも、100mに指名しておきながら、100mの練習をさせないんですよ。
他の生徒は、全員50mですからね。
100mなんぞしてられんということです。
で、大会。
泳ぎ切れましたが、当然最下位です。
周りは皆、水泳やっているようなやつで速いです。
こちらはペース配分もわからず、プールから上がった時は、足がふらふらしていた覚えがあります。
つまり、私の小学校の成績は、
小5:失格。
小6:最下位。
小5までは放置され、小6は、頑張った結果、教師から最下位にさせられた感があります。
高校体育
こちらは義務教育ではないのですが、よく覚えています。
逆立ちしてそのまま前転する、ということをやりました。
周りは、皆できます。
私だけができませんでした。
その時、何回も挑戦しては失敗する私を、教師は、周りと一緒になって笑うだけでした。
その教師は、名前も顔も覚えていませんが、このことで大嫌いになった覚えはあります。
(名前すらどうでもいいと思ってたので。当時も名前を知らないまま一年すごしましたw)
仕方がないので家で猛練習し、なんとか試験までにはできるようにしましたが。
というようにこの時も、指導などしてもらえませんでした。
その他、授業外ですが、中学校の部活でも下手なまま放置されていましたしね。
何度
「まともな指導があればあのくらい(レギュラーメンバー程度の力)になってやるのに」
と思ったことかw。(上手い子には手取り足取り教えてるしw)
クラス人数を減らすことで目をいきとどかせればよい
子どもの数が減っている、という問題がよく言われますが、ならば一つのクラスの人数を減らし、教師が指導しやすいようにすればいいのではないかと思うのです。
これで、人数が多すぎて全員に目がいきとどかない、という言い訳対策になりますw。
そっち方面で議論してもよいのではないかと思います。
個人的には、習熟度に応じてクラスをわけるという案には、賛成ですね。
わからない、できないから、しっかり教えるべきだと思いますし、できる子基準にされたら置いていかれますから。
逆にできる子は、どんどん新しいことを学ぶ、挑戦していけるので。
例えば二次方程式が習った時点で分からなくても、中学卒業までに理解できていれば、同じなのです。
すぐ理解した子も、遅れて理解した子も、その時は差があっても、卒業時点では、どちらも二次方程式が解けるという点では、同レベルになるのですから。
あとがき
何でも教師のせいにするのは、あれだとは思いますが、ちょっと考えてほしいものです。
子どもを走らせて、「速いなあ」、「遅いなあ」だけなら、誰でもできます。
体育教師である必要がありません。
「もっとしっかり走って」って、それは指導じゃない。
走ってる方は「やってんだよ!」って話ですw。
体育に限りません。
音楽もそうですし、座学科目もそうです。
教師は、もっと教師の仕事をすべきかと。