てるてる氷解ブログ

人生の氷河期を乗り越える  雑記ブログ

毒親の親も毒親

私の親は、過度に世間体を気にしています。

言葉の端々に、子どもの心配ではなく、”自分(親)がどう見られるか”を気にしていることがわかりました。

世間体を気にし、「こう見られたい」という理想を子どもに押し付けるのです。

 

私の父親の場合、父親の親、祖父母も問題のある大人でしたので、その影響もあるみたいです。

毒親の親も毒親、ということです。

 

世間体を気にするのは、一定程度理解できるのですが・・・。

そこで、自分の理想だけを押し付けず、子どもの幸せを考えてやる、子どもの選択を尊重するのが親ではないか、と考えます。

 

毒親の親も毒親である

なぜ、父が過度に世間体を気にするようになったのか。

我が家の場合、どうやら、父親の親、父方の祖父母が影響しているようでした。


父方祖父母は、他人の悪口ばかり

父方の祖父母は、基本、他人の悪口を言っています。

また、子ども(孫)同士を比較し、長男の子どもをひいきし、長男の子を褒め、その他の子どもを馬鹿にします。

「○○の子どもが、××の問題を起こして」

「○○の子は、頭がよくない」

「○○さんとこは、ちょっとおかしい」

他人の悪い噂ばかり口にします。

他人をほめることはしません。

 

これを見て育った父は、

「自分も影でこういう風に言われる可能性」

を考えたことでしょう。

そのため、そう言われないように、実家の目を、そして世間体を過度に気にするようになったのではないかと。

父にとって、実家が世間の常識なのであり、実家にどう見られるかを主題にしていた気配があります。

 

ちなみに、私は、小学校の時点で、この実家が嫌になっていたので、もう行きたくないと言って、親戚が集まる正月であっても、一人家で留守番していました。

また、学校の成績は、親戚の中で私がぶっちぎりでよかったので、それが判明してから、父方の実家では、私の話、そして、学校の成績の話は一切出なくなったらしいです(笑)。(それまで、一生懸命長男の子どもが勉強できることを自慢し、他の子を馬鹿にしていた。父は次男です。)

私も、あなた方の孫なんですけどね・・・。

 

父も、毒親祖父母を正しいものとしている

まあ、父の場合、その親(祖父母)を、素晴らしいと思っているので、どうしようもないのですが。

「俺は、親が怒るようなことをしたことがない」

と自慢げにいってました。

つまり言いなりです。

 

実際、私から見ても、父は実家の言いなりでした。

実家と比較して、自分の子どもを説教していた感じもあります。

父は、

「親に逆らうことは悪いこと、逆らわないことが当たり前」

という考えがあり、親が絶対正義なのです。

つまり、

親が他人の悪口ばかり言う

→親が正しい。つまり親にそう言われる人が悪い

→自分も親に悪く言われないようにしよう

→親に逆らうと悪く言われる。それは自分が間違っているということ、恥である

→逆らわない

→親の言いなり

となっているのです。

 

祖父母、叔父から自分の子どもが悪く言われていても、自分の子どもをかばったりしませんでしたし。(後のフォローもない)

子どもからすれば、父は、大人になっても親の意見に従う、反抗できないあたり、小さい、といいますか、頼りがいのない、尊敬のしようもなかったです。(いくつになっても自立できない子ども、という感じです)

 

だからこそ、父も毒親なんですね。

自分が親の言いなりだから、お前(子ども)も俺の言うことに従っていればいい、ということです。(ある意味、筋は通ってる?)

父からすれば、親に逆らうのは考えられないのです。

親が絶対なので。

 

子供より実家の目、世間体を心配

私の親は、ほぼ全てにおいて、第一声が、子どもの心配ではなく、実家に馬鹿にされないか、世間的に見栄えの悪いことをしていないか、ということを探る言葉になっていました。

 

バイク

通常、バイクを反対する親は、危ないから反対します。

事故に巻き込まれる可能性を考えて。命の危険を考えて。


しかし、我が親は、違います。

私が、バイクを乗ることにしたときに、親に言われた言葉。

「お前がバイク乗って、事故にあったら、親が周囲にどういわれると思う?。子どもが危ないものに乗っているのに、あそこの親は、ほっておいたんだ、って思われるんだぞ!」

「親が馬鹿にされるんだぞ!」

※この時、私は社会人です。

 

いや、実は子どもが心配なんだけど、表向きそういった理由で引き留めようとしている、という意見もあるかもしれませんが、うちの親、この考えが本気なんです。

・子どもがバイク→バイクのイメージは悪い→うちの子は不良→あそこの親は・・、と見られる 

・子どもが事故→まずい。世間から自分が悪く見られる。親が止めなかったからだと。

という考えが真っ先に頭を占めるのです。

 

学校

私は、中学時代、2年まで英語の成績がよくなかったのですが、

「みっともない。恥ずかしい」

こういう、”よそ(実家)に対して恥ずかしい”という理由で怒鳴られてました。

私だけでなく兄弟全員。(だからかもしれません。他の兄弟が勉強しなかったのは)

 

また、部活も、兄弟全員がこう言われていました。

「運動部に入れ。それ以外は、みっともない」

私は、元から運動部に入るつもりでしたが、この言葉には違和感がありました。

文化部の何が悪いのか。

 

受験時も、

「このレベル以上の学校にいけないとみっともない」

ということです。

 

全てにおいて、子どもがどうとかではなくて、実家の目を、世間にどう見られるかだけを気にしているんですよね。

子どもがしたことで、どう見られるか。親である自分がどう見られるか。

 

このように、怒る理由が基本、世間体、実家の目を気にしていたのです。

実家に恥ずかしくないように、世間に恥ずかしくないように・・・という考えが全てなのです。

 

ちなみに、我が家は、たばことパチンコはOKです。私はしませんでしたが。

なぜなら、実家長男の子どもがしていたからです。

父の判断は、実家が基準なのです。・・・パチンコも、大概、世間的に見栄えが悪いと思いますがねw。

 

世間体

世間体をある程度気にするのは理解できます。

しかし、度が過ぎると言いますか、何においても最初に考えるのが世間体であり、それを基準にする、ということが問題であるように思います。

 

子どもの心配、幸せは二の次・・・周囲に良く見られる、いや、周囲に悪く見られないことこそが幸せと考えているのかな。

(子どもをつくったのも、子どもを持つことが一般的な大人、という世間の目を気にしているので、子どもは持つのです・・・これは言い過ぎでしょうかね)

 

正直なところ、親を嫌っている人は、親の言動から、自分より世間体を気にしていることがなんとなくわかっている・・・自分を心配していないと気づいているのでは、と思っています。

子どもって、それほど馬鹿ではなく、いろんなことを感覚で理解しているんですよね。

怒られているのが、自分のためか、そうじゃないのか、感覚でわかっているかと。

 

「親がうるさい」

とよく聞きますが、親を本気で嫌っている人は、このうるさいが、子どもの心配ではなく、世間体を気にしたことばかり言われているのではないかと思います。

 

自分を振り返っても、なんとなく気づいていたように思います。

子どものときは、「なんとなくおかしい」という感じでしたが、今は、

「ああ、この人は、自分の心配をしてるんだ。子どもを通して自分が世間からどう見られるかを心配しているんだ」

と言葉で表現できるようになりました。

 

あとがき

親の親も毒親の場合、同情の余地があるかもしれませんが、それでも、子どもを苦しませたのは、親であることは間違いありません。

親も大人なのですから、責任は、親にあります。(これは毒親に育てられた私にも言えます。私の行動は私の責任です)

 

世間体を気にしてしまうのは、誰にでもあるかと思います。

ですが、度が過ぎれば、それはもう害悪です。

いくら世間体を気にしていても、子どもの心配を優先するのが普通の親であり、その場合、絶対に言葉の端々にそれがでます。

逆に世間体を第一に考えてる場合も、それがでます。

世間体を気にしていることが、子どもに伝わらないように言動には気をつけるべきかと思います。

とはいえ、子どもの心配が第一なら、自然とそういう言動になりますからね。

そこまで心配することもないですが。(普通の親なら)