てるてる氷解ブログ

人生の氷河期を乗り越える  雑記ブログ

マナー違反 「法律上問題ない」という言葉に疑問

マナー違反の話題をよく見ます。

鉄道、キャンプ、バーベキュー、釣り等々。

基本的に、人が集まる、流行になると、それに伴いこういった話題が出てきます。

 

ゴミの放置など当たり前のことは論外ですが、特殊なマナーなどは、知らなかったなら仕方ないのです。

注意されたら謝罪し、改めればよいのです。

ですが、多くの問題になっているマナー違反は、注意されても反省しないどころか、反論にもならないことを言っているようです。

「他もやっている」

「そんな法律あるの」

「うるせえ(逆切れ)」

等。

 

このようなことを言う方々は

 注意された ⇒ 恥ずかしい ⇒ 異常に反発する

ということに繋がっているかもしれません。

めちゃくちゃなことを言って、その場を逃れようとされている印象があります。

 

どの言い訳も、他人事で聞いてもイラッとする言葉ですが、その中で、いつも気になる言葉があります。

「そんな法律あるの」

 

法的に問題がなければやっていいのか

著名人がこう弁明されたりもしますが、そういう問題ではないでしょうと。

極論、この方たちは、人を殴ることが法律で定まっていなければ人を殴るのでしょうか?

殴ったことを非難されたら、上記の言葉を掲げて自己正当化するのでしょうか?

法律がどうこうではないと思うのです。

 

この原因はあれですかね。

親、又は周囲の大人が子を叱る時に

「怒られるからやめなさい」

「逮捕されちゃうよ」

という風に言っているからでしょうかね。

 

子どもからすれば、つまりこうなります。

「怒られなければいい」

「捕まらなければ(法律がなければ)いい」

と。

そして、その子が大人になって・・・。

 

教師すら法的根拠がないと動かない

以前に、国歌斉唱をなんだかんだと拒否している教師がいるために、条例が定められた、というニュースがありました。

「こんなこともできない教師が生徒に何を教えるんだ」

とかいろいろな意見がありますが、私は、まずこう思いました。

「法律(条例)を制定しないと、この程度のこともやらないのか」

と。

 

法的に問題なければ、ここまでになるんですね。

日本もここまで落ちたか、と正直思いました。

こんなことをルール化しないといけないなんて・・・。

まともな方は、この条例作るの、正直恥ずかしかったでしょうね。

 

ルールが細かい→民度が低い?

ルールが多いということは、それだけ民度が低いことを表しているのでは?と思います。

例えば、「落書き禁止」という看板を見ますが、よく考えればそんなこと当たり前なのです。

書くやつがいるからそういう看板、ルールがあるのです。

民度が高いなら、誰もそんなことしませんので、そんな看板不要です。

 

レベルの高い学校ほど、学校の規則が厳しくないと言われることもありますし、ルールが細かくなるほど、程度の低い人間が多い、ということでしょう。

(過去にそれをやって問題を起こした人間がいるから規則で禁止される)

 

子どもへのしかり方

冒頭で記述したとおり、子どもへのしかり方、また、子どもにどういう姿を見せているかに問題があるのかもしれません。

しかるときは、なんでいけないことなのかを教える、ということをすべきだと思います。

 

また、

親、大人が、しっかりルールを守っている姿を見せる。

誰かに注意されたときも

「すいません。気を付けます」

と言っている姿を見せれば、子どもはそれをみて学習、マネをします。

親の姿が、子どもの態度、その子が大人になった時の姿勢を表しているのかもしれません。

 

私は、接客業をしてきて、いろんな親を見てきました。

 

私が見てきた悪いと思う例

例えば、私、スーパーでアルバイトをしていたのですが、スーパーで走り回っている子どもを叱らない親、多いです。

 

また、叱る時も

「おいお前!やめろ!」

と叫ぶ。

言い方が悪いといいますか、口調が荒々しいのです。

自分の子供に 「おいお前」って・・・、子どもがその口調をマネするぞと。(叱らないよりましかもしれませんが)

そして、何故ダメなのかを説明しない。(家で説明しているのかもしれませんが)

 

さらに、こう言い聞かせている親御さんもいます。

「お店の人に怒られるよ」

と。

こちらからすれば、

「私たちは怒らないので、親御さんが、何故その行為がダメなのかを説明してあげてください」

と言いたいです。

 

良いと思った例

とはいえ、しっかりされている方も多いです。

 

ある店でアルバイトをしていた時、親と来店していた子どもが陳列しているイチゴを触って落としてしまいました。

落ちたイチゴは、つぶれている箇所があります。

私は、すぐにその商品を片付けようと動いたのですが、子どもを叱っていた親御さんが

「いえ、これは購入します」

「大丈夫です。こちらで処理しますので」

「いえ、子どもに自分のしたことをしっかり教える必要があるので、このままいただきます」

「わかりました。せめて値引きだけでもさせてください。さすがにそのままでは」

ということで、落としたイチゴを購入されていかれました。

こういう方もいるんだなあ、と感心し、勉強にもなりました。

これは、よく覚えています。

 

別の店では、走り出した子どもに親御さんが注意していたのですが、ただ、

「止めなさい」

というだけでなく、何故走ったらダメなのかという理由を、しゃがみこんで、子どもの目線でゆっくり説明されておられました。

いい親だなあ、と思って見てました。(じっと見てませんよw)

 

あとがき

たとえマナー違反をしても、注意を聞き入れて、反省されれば問題ないのです。

問題は、注意を無視、法的根拠を盾にする、逆切れする人がいることですね。

注意して聞き入れてくれていたら、こうやって大きな問題にはなっていないでしょう。

子ども時代に、何故それがダメなのか、説明しないことがよくないのかもしれません。

 

どの時代だろうと、生まれた時点の子どもは、同じですからね。

何もない真白な存在です。

今の子どものマナーが悪いとするならば、今の大人、環境が悪いのです。

そしてその子が大人になって、法的に問題なければ、捕まらなければいい、ということで、マナー違反をする。

注意されるのは恥ずかしいから、注意されると反発する。

今の大人のマナーが悪いなら、その親のしつけ方が悪いのかもしれません。

 

 

今は、マナー悪い人に向かって何か言うのは難しいですね。

注意した結果、逆恨みされて事件にまで発展していますし、下手に注意すると何されるかわかったもんじゃありませんからね。

ならばと、ルールを策定し、禁止と明文化する。

そのせいで、マナーを持っている方は、ルールに縛られて窮屈な思いをしてしまう。

悪循環です。

 

悲観的、悪いことばかり書きましたが、素晴らしい方もたくさんおられます。

悪い方が目立ってしまうので、悪い人ばかりに思えてきますが、決してそんなことはないでしょう。

悪いのが目立つということは、普通の方が多いからです。

 

煙草のポイ捨ても、昔は、普通でした。

今やれば、悪目立ちし、非難されるでしょう。

ポイ捨てしないことが普通になってきた、マナーが良くなりつつあるからだと思います。