私は、よく
「お前のためだ。お前が苦労しないため」
「子どもの幸せを願わない親がいるか」
と言われ、親の思い通りにさせようとされてきました。
子どものため・・・確かにそういう部分も少しはあるのでしょうけども、
子どものやりたいこと、選択肢、判断を全て否定するのが、果たして良いことなのでしょうか。
子どもの自己肯定感、自立心を奪っているだけのように思いますが・・・。
私の家の場合、結局は、親の世間体、見栄。
つまり、
「子どものためではなく、親のため」
でしたw。
ずるいですよね。
自分のためなのに、子どものため、とすり替えて、自分の思い通りにさせようとするのですから。
私の体験
①部活
「それは駄目だ。こっちに入れ。お前のために言っているんだ」
「運動部以外はダメだ」
②勉強
「家に籠って一日中勉強していろ。お前のためだ」
③就職先
無職である状態で必死に就職勝活動をしていれば
「そんな会社は駄目だ」
「規模が~」
「人数が~」
「家から通える会社にいけ」
全て、最後には
「お前のためだ」
ですw。
子どものためではない
結論を言うと、全部親の見栄、世間体でした。
①
「そこに入っても、お前は不器用だから、みっともないことになるだけだ(親が恥ずかしい)」
「運動部以外は、根暗なやつが入るから、文化部は(親が)みっともない」
②
「勉強していい大学に入れば、親が周囲(特に父親の実家)に自慢できる」
「いい大学に入れなければ、(親が)恥ずかしい」
(社会人になってからもネチネチ言われ続けました。「浪人しなかった根性無しが!」と
③
「大学出て、そんな誰も聞いたことないような会社に入るのはみっともない」
「大学出て、そんなところに行ったの?と言われる」
「いい大学ならば、親も胸を張って言える」
「地元の会社なら、家の近くの会社を選んだ と言い訳ができる」
「家の近くにいてくれたら(親が)安心」
・・・。
そう思うやつがいるなら、思わせとけよw。
好きな部活をさせない
→本人がやりたいことをさせないことが子どものため? それもたかが部活で?
家にこもり一日中勉強
→引きこもり。友人関係をなくす。コミュニケーション能力の欠如
→子どものため?
無職の就活を否定
→子どもの自立を否定
→子どものため?
全て、子どものためになっていないように思います。
あとがき
心底、子どものためと思っている親もいるでしょうけども・・・。
実際のところ、この言葉でやらせることは、
親が周囲に対して恥ずかしい思いをしないように、そうやって欲しい
ということが多いように思います。
子どものためだといい、習い事を並べて、勉強をさせて、遊びをさせずに・・・。
実は
子どもが賢くないと親が恥ずかしい
だったり
(親が)恥ずかしいから、これぐらいはやるべきだ
という理由が多いように思うのです。
・・・
なんだかなあw。
私が特に疑問視しているのが大学→就職での、下記の例ですね。
安定しているから、これが一番だと
朝から晩まで猛勉強して、いい大学いって、地方公務員になれ
というんですよ。
これこそ、親の都合の集大成だと思いますw。
一流大学 → 親が胸を張れる
地方公務員 → 転勤もなく、ずっと実家そばにいてくれる
地方公務員なら、そこまで一流の大学じゃなくて良くないですかね?
そこまでさせるなら、せめて
「ノーベル賞とれ」
「トヨタを超える会社をつくれ」
ぐらい言わんかいw。
ちなみに、勉強を否定してるわけではないです。
勉強はしたほうがいいです。
親が、子どもの勉強時間ばかり気にして、それ以外のことを許さず、朝から晩まで勉強させることがどうなのか、ということです。
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